恥ずかしい話になるんであまりオープンのブログで書くのをためらってた部分もあるのですが、A病院でお産をしてみて吉村医院や一部の助産院出産推奨者(表現が違うかも知れませんが)がいう「病院でのお産はひどい」とか「自分が産むのでなく、産ませられるお産である。」とか、「医療介入はいらない」とか「不必要な医療介入がある」というのは変じゃないかなと思ったので書くことにしました。
(忘れないうちに書いておこうと思ってあまりまとまってないのをずらっと書いた部分もありよみにくいし、長いです。ごめんなさい。)
もちろん自分の体験しかかけませんので病院でのお産すべてについての話ではありませんが、少なくとも全部が全部上のようなあえて言えばヒステリックな避難をされるようなものではないという事が伝えられたらなと思います。
お産~出産後のまずは経過です。
1.5日前に、おしるしというには素人考えでは多めの出血(生理の2日目位のものが半日続く)と不定期(1時間に3~4回)な下腹部の痛みがあり病院に電話相談をし、診察していただく、出血はおしるし、痛みは前駆陣痛との事。胎児は元気。
2.出産の3日前より1時間に5回前後の下腹部の痛みがある。(もうすぐお産なのかなと思いつつ観察。夜は眠れず。)
3.出産の前日の朝、痛みが10分間隔となる→昼、痛みが6~7分間隔となる。病院に電話相談し、診察、そのまま入院となる。
4.経過観察してもらいつつ陣痛室で過ごす。出産当日の夜明け前、出血があり、診察してもらったところ、子宮口は8センチくらいだか胎児の心音が下がっているとの事で分娩室に移動緊急帝王切開の準備をしていただきながら監視装置にて胎児の状態を見ていただきながら姿勢や、体の向き、呼吸方法を医師、看護師さんや助産師さんに指導してもらいながら自然分娩に臨む。
5.出産0日目、午前7:30子宮口全開、11時頃出産。自分は出血が多量だったため輸血を受けるほどではなかったが点滴を夕方まで受ける。子供はミルクが飲めず、薬を飲む。
6.出産後1日目、自分はふらふら、授乳のためのマッサージのビデオを20分見て気持ち悪いのと、めまいと、下腹部の痛みでぐらぐらとなる。子供も小児科の先生に胃の洗浄をしていただく。自分、大丈夫だと事前の知識でわかっているのに子供に申し訳ないやら、これから本当に母乳があげられるか、ものすごい気持ちがずとんと落ちて涙が止まらなくなる時間がある。本来この日より母子同室だが、母子ともに調子が悪いため、同室は次の日からとなる。
7.出産後2日目、母子ともに体調がちょっとづつ快方に向かう。母乳もミルクも飲めるようになる。
8.出産後5日目、母子ともに病院を退院。
てな感じです。私が感じた印象になりますが「不必要な医療介入はない。」「不必要な医療介入はなるたけしない。」というのが基本にありました。翻っていうと「必要だから、必要な医療介入を行う。」当たり前の事を当たり前に行うように、医師や他のスタッフの方々もがんばってくれているという印象を持ちました。会陰切開もきちんと説明があり、「胎児のために必要だから行う。」というのに私は納得できました。
時々、お産に対しての医療介入に反対される方に「医師の都合だけで行う」とか「自分で産むのでなく、医師に産ませられた。」と発言される方がいますが、事前に調べたり、その場で産む母親の立場に立ってみて思うのは、医師や周りのスタッフの方々は必死にサポートしてくださるが、やっぱり産むのは自分で産まれて来るのは胎児であり、当事者ががんばらなきゃまわりもサポートのしようがない、ということでした。
看護学生さんも担当についてくださったのとお産が長く、お産中、沢山の方がサポートしてくださいました。医師の方が2名
看護師さん、助産師さん、看護学生さん、その先生、その担当の助産師さん。助産師さんや看護師さんは勤務の関係で入れ替わりで合計4~5名のかたがいてくださったと思います。
みんながいろいろとアドバイスしてくれて、痛いところをさすってくれて、見守ってくれて、経過を観察してくれて、励ましてくれて、ほめてくれて、一緒に話をしてくれて、「機械的だ。」とか「流れ作業だ」なんて部分はこれぽっちもありませんでした。正直こういうのはイメージで話をしてるだけじゃないかなと思います。
実際、経験豊かな方々の指導による、姿勢かえとか、呼吸の取り方などは本当にありがたかったけど、実際に行うのは自分なんですよね。で、必死に産まれてこようとがんばってるは胎児です。
「恥ずかしい苦しい、格好をさせられる」という発言もよく聞きますが、これは個人の主観なのでなんともいえないし、実際、自分も仰向けでずっといるのは苦しそうと最初、フリースタイルにこだわったんですが苦しいについては実際、ずっと仰向けでいるってわけじゃないんですね。横向きでがんばって呼吸を整えながら、胎児が下のほうに降りてくるのを待って、最後いよいよという時(いきむ事が必要になった時)に仰向けになるんですね。で、正直、いきむためには分娩台で、仰向け、レバーがあるって体勢が私は楽でした。
「恥ずかしい」については…私は別に恥ずかしくなかったです。最終的に取り上げてくださった先生は男性の医師でしたが、いや、こういう言い方はちょっと失礼かも知れないけど、お産の為にともにがんばる同士という感じがして、励まし応援してくれる先生にまぁいうなればあられもない姿をさらしてたわけですが、特に気にならなかったです。陣痛の合間、痛みが引いてる時、お話をしたりしてくれてその間、正直、どうしてこの格好が屈辱的と感じるんだろうなぁと不思議に思いました。
これは、私の感覚が変なのかも知れません。でも、やっぱり別に屈辱的じゃなかったです。
母子同室や初乳についても出産当日や次の日にあげられなかったのもそりゃ、理想的ではなかったのかもしれないけど、2日目までの自分の体調や子供の体調を考えればよかったと思います。胃の洗浄や薬だって、必要だから処置してくださったんであって、初乳がとか同室がってこだわって意固地になったら両方の回復が遅くなっただけだと思います。これも必要な医療介入だと思います。なんとか自然分娩で乗り切った自分がこうなんだから、帝王切開で出産された方が無理をしたらとちょっと怖い気がしました。
お産後の授乳や育児の第一歩のこと、体調についても皆さんが本当に懸命に指導、処置をしてくださいました。時々落ち込みながらも何とか最初の一歩を踏み出せたのはやっぱり病院のスタッフの方たちのおかげです。大病院のスタッフが表面的に愛想がいいなんていう言い方は最初から疑ってかかっている色眼鏡で見てるからそう見えるのではと思ってしまいました。
NTSの機械をつけながらのお産が不自然だ、リラックスできないという話も聞きますが、まぁ、江戸時代から考えれば不自然なんでしょうが不自然で何が悪いんでしょうか。私は別につけててもリラックスはできました。大体3日くらいほとんど眠れなかったので、陣痛と陣痛の合間に眠ってしまうくらいリラックスしてた自分です。スタッフの方々が信頼できる人たちだったから安心して任せるところはお任せできたのでリラックスできたんだと思います。リラックスできるかどうかというのは機械がどうのこうのでなくてスタッフの方と信頼関係を結べるのかという部分も大きいように思います。そして、信頼関係を結ぶためには相手に要求するばかりでなく、自分のほうも学んだり、信用したり、疑ってかからないとかやることがあるんじゃないかなと思いました。
あと、どんなに不自然だろうとNTSで観察していただいて、姿勢、呼吸の指導によりちゃんと子供に酸素を送ることができたのは本当にありがたいことでした。胎児が苦しんでいて、それを知る方法があるのに、それを主義主張のために使用しないというのは私はいやです。
退院時に請求書をいただいた所、出産当日は入院費も保険がきいていました。(出産だけど自費でなかった。)ばりばりの医療行為だったわけです。そのおかげで、子供は無事に産まれてくることができたし、母子ともに規定どおりに退院することができました。
ほんとに医師の方をはじめ病院のスタッフの方々には感謝しても感謝しきれない気持ちでいっぱいです。
私は結局、吉村医院でも助産院でも子供を産んでいません。だから、それぞれについていい、悪いを結局はいえないし、よくわからないというのが本当のところです。吉村医院については個人的に信用できない、怖いなと思ったというのと、助産院については助産院で産める健康な妊婦でなかったからです。すべての助産院を否定するわけでないし、信用できると思ってる所もあったりします。
ただ、吉村医院や一部の助産院や助産院での出産を賛美(いや、言い方悪いかもしれないけど。)するむきのある方がいわれる「病院での出産はひどい」というのは「そのいいかたこそひどいんじゃない。」と思ってこの日記を書いてみました。
病院であろうと産むのは母である自分で、産まれてくるのは子供である胎児です。病院でスタッフの方々は「母子無事であるように」と懸命にサポートをしてくださいます。ちょっとずうずうしくいえば病院のスタッフの方々とはお産に臨み、ともにがんばる同士です。お互いに信頼関係を結び、がんばり、ともに戦う。帝王切開であっても母体や胎児ががんばれなければ手術だってできないんですよね。
だから、どこで産んだって自分ががんばる。胎児ががんばるというのは変わらないんじゃないかな。だから吉村医院や助産院や自然分娩を推奨するあまりに病院での出産を非難、批判するのはおかしいそう強く感じるのです。
あと、余談ですが、難産で長時間なので大変は大変だったんですが、出産はとても楽しかったです。
陣痛の痛みは男の人は耐えられない。経験したことのない痛み。階段から落ちる時は「わー」という感じだが陣痛は「ぐわぁー」という感じという「痛みの強さ」のうわさにどきどきしていたのですが、最後まで、経験したことのない痛みはきませんでした。痛いというなら、歯の麻酔がなかなか効かず、麻酔が効いてないのに治療をされかけた時の痛みとか、家の階段の一番上から下まで転げ落ちた時の痛みとか、足の先をを13針縫った時、部分麻酔が効いてくるまで針が10数本刺さったままの間隔で麻酔が効いてくるのを待った時とか、交通事故で骨折した夜の痛みとかのが痛かった。(全部、自分の経験だと思うと悲しい。)…てか、こうあげてみると、医療資源使いまくりの3号だな。
陣痛で何が大変て、とても痛いあれが定期的に長時間続くって事でしょうか。
でも、今まで経験した痛みと違い、その痛みの中、呼吸をがんばると、みんながほめてくれるんです。しかも皆さんほめ上手。「ここまできてこんなに冷静な妊婦さんは初めて。」とか、「呼吸の仕方がすごく上手。」とか、「いきみかたが本当にうまう。」とか。何時間もずっと褒め称えてくれる。
…たぶん、変なドーパミンが出て最後のほうは痛みが緩和されてたような気さえする。
車にぶつかっても、骨折しても、木から落ちても、5寸釘で大怪我をしても、ものすごく痛いんだが誰もほめてくれない。(当たり前。)
でも、お産はみんながほめてくれる。たのしかったー。ここでも褒められるの大好き3号全開でした。いやぁ、出産後の入院生活もみんなが褒めておだててサポートしてくれるもんだから本当に楽しかった。(熱が下がらず、浮きっぱなしってのもあったような気がしますが。)そして、陣痛時にお風呂に入るというのが自分のイメージしていた事なんですが、病院だからだめだなぁとあきらめていました。そうしたら、別にこちらから要求したわけじゃないのに、陣痛時、げろげろと吐いている自分を見かねて助産師さんが「陣痛時にお風呂に入ると楽になったり、吐き気がおさまる時があるから。」と機転を利かせ、お風呂にお湯を張って使わせてくださいました。お風呂の中で陣痛に耐えるのはやっぱり外で耐えるより楽でした。本当にうれしかった。
馬鹿話はともかく、吉村医院などでいわれる、お産を通じて宇宙とつながるような感覚とか、一体感は特に感じられませんが、本当に安心して、大変な中にも楽しく、気持ちよく(子供が出てきた瞬間は本当に、本当に気持ちがよかった。)お産を経験し、生まれてきてくれた子供が呼吸をしてくれていたことに対して本当に喜びと感謝を感じる事ができました。
病院での出産。すばらしかったです。病院退院後、母乳指導や育児指導を受けるためと称し、助産院で贅沢入院を2泊3日でしたのも楽しかったし、心強かったけど、お産時に医師の方がついてくださり適切な処置をしてくださるのは本当にありがたかったです。一般的なことは強く言えない部分もありますが、自分がまた子供を産む機会があればハイリスクな自分ですので今回お産をさせていただいた病院で産みたいと強く思います。(そういう意味でも産科医療が崩壊するのは困るのです。)
吉村医院を選んだ理由 そしてやめた理由
吉村医院がどんな所かというと
自然分娩に力を入れていて、帝王切開をしない。(帝王切開の場合は他病院へ搬送となる。)
ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E6%9D%91%E5%8C%BB%E9%99%A2
となります。
そして、選んだ理由は
1.経過が順調であり、特に、問題がなければ自然分娩で出産できればいい
2.里帰り出産が可能な為、地元にある医院を選んだ。
3.助産院も考えたが、産む所以外の病院で経過を見てもらいながら自然分娩に望むより、順調であれば分娩に分娩を請け負って
くださる医師が経過観察(医療的なものを含む)し、帝王切開などの必要性がある場合はしかるべき指示を出してくれる医師の
いる産院が安心だと思った。
で、自分がどうしてなるべく自然分娩がいいなぁ。帝王切開は避けたいなぁとおもったかというと
1.麻酔が効きにくい体質だから。
歯医者とかあと足を縫った時の麻酔量とそのかかり方で判ってる事です。
2.どうも、妊娠お祝いムードに乗りおくれて不安になった。
自分が妊娠が判った時、旦那を始め、家族、友人などがとても喜んでくれて、うれしかったんだが、自分自身が、「妊娠をし
てほっとした。」(もう、子供はまだ?と聞かれない事)はあっても「赤ちゃんが出来てうれしい」という実感が湧かなかった
から。
やばいぞって感じかな。特に旦那はおなかをなでて子供に話し掛けたり本当にうれしそうで「父親」という感じです。なんだか乗り遅れてしまったようで正直、あせる私。
「父親」の実感はなかなか湧かない。「母親」は妊娠した時から実感はあるというのが普通のように思われ、自分がすごく冷たい人に思えたのです。
そして不安に。「児童虐待‥するんじゃないか?」と。おなかの子供に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。「かわいい」って思えなかったらどうしようと。そんな時に「自然分娩で産んだり、母乳で育てるとその過程ででるホルモンの関係で子供をかわいいと感じる。」という情報を手にしたのです。「これだ」って思いました。いや本当に感じたんだよな。
普通のちゃんとした人は帝王切開だろうか、分娩の経過がどうであろうが、ちゃんと子供をかわいがれるんだろうけど(だって、ちゃんと妊娠時から母親の実感があるんだから)駄目駄目な部分がある自分はそういうホルモンの手助けを借りれるなら借りるべきなんだと。
はたからみたら馬鹿みたいかもしれませんが、私自身はわらにもすがる気分があった。(本当に吉村医院を選んだ時はあった。)
もちろん子供の安全が最優先の第一条件だけど、「すばらしい体験」を求めてというのでなく、「出来そこないの自分がちょっとでも子供の為になる母になるための分娩が出来るなら」と自然分娩にひかれた。(そういえば、6ヶ月検診の2.3日前に妊婦雑誌とか本やネット情報で「6ヶ月;今まであいまいだった胎動がはっきりとわかるようになります。で、その時点であいまいどころかちょっとも感じた事がなかったもんだから目茶目茶不安になってブルーになりました。情報に振り回される3号。右往左往してぐずぐず。駄目じゃん。 )
てな感じで吉村医院を選びました。があるネット情報にて不安を感じます。というわけで続きます。
「検診受けてるけど、自分のリスクなんかはちゃんと教えてもらえてるのか」という疑問をもってしまったわけで、何よりこれが一番気がかり。
ドクターショッピングな気もする。と思いつつもともかくこのままにしてるのは嫌。 と、いうことで、吉村医院の搬送先のひとつで地元の基幹病院で中核的周産期療機関、A病院へ受診。そして吉村医院からの搬送についての質問、自分の今の現状の質問をする。 診察くださった先生は確証の取れない事は言えない事、吉村医院の中傷になりかねない事は言えないとは思うのに真剣に受け答えをしてくださる。
吉村医院からの搬送は月に1位あること、帝王切開になる事が多い事、ただそれが取り立てて数が多い訳ではないとの事。
搬送については他の基幹病院へも電話で搬送数の問い合わせをしてみましたが、回答得られず。(まぁ、あたりまえだよな。)
自分、吉村医院では
「全然、順調で産道も柔らかい、ただし子宮口は硬いのでどんなに動いても早産はぜったいにない。しっかりと体を動かさないと難産になる。」と毎日3時間の散歩と300回のスクワットを指示。
安城厚生病院では「胎児は1週分小さいがこれは正常範囲です。骨盤、羊水は普通で大丈夫です。ただ、この早い時期では珍しい局所収縮が見られるので、普通の生活、適度な運動は必要ですが、激しい運動や無理は流産や早産の可能性も出るので私は300回のスクワットはすすめない。現時点の話しかできないが今の状態で順調に経過が進めば、助産院での出産や帝王切開でない出産が無理というわけでない」との事。
なので吉村医院の診察の説明はやばいかなぁと思い始める。
(局部収縮は筋肉の力瘤みたいなもので随時変化するものらしく吉村先生がわざと言ってないとう確証があるわけじゃない。でもなぁ、あっても教えてもらえないんじゃないかと思ってしまったんだよな。)
そしてネット上以外での情報収集に走る。
友人知人などつてを頼った噂の類かな。(助産師、看護婦(元)さんなど含む)
で、信憑性が高いなと思うものをあげると
・現在、岡崎市民病院では吉村医院からの搬送を受け入れてないらしい
・搬送のタイミングが遅いらしい
・搬送の大部分をT病院に送っているらしい。
・吉村医院での出産は脳性まひや仮死産が多い
・吉村医院では出産だけ(その後の入院が一切ない)という分娩も請け負っている
搬送先とされる病院が「O病院」「A病院」「T病院」なんだけど、吉村医院から一番近いのがO病院、一番遠いのがT病院。…なんかやっぱりやばいじゃん。
分娩「だけ」受け入れる、というのも申し込む方も「Y医院で出産したというブランド」を手に入れたい、受け入れる側も「産後の事なんか知ったことじゃない」という態度に思え、びっくり。 とても産後に動くべき状態じゃなくても「最初からそういう約束だから」ということで出産後すぐに退院されるそう。
…るるるー。それだけの為に遠隔地から来る人もいるんだそうな。
吉村医院については
吉村先生の「医者らしくない風貌(白衣を着ない)」で好感をもって「でも、医師である。」という部分で単純に信頼していたような気がする。 検診も丁寧に話をしてくれるし(まさか、リスクを教えてくれないとは思わない。というか他ではリスクとされるものが吉村先生のなかではリスクでないんだな。だからあえて教えないとかではないんだろうけど悪意がないだけに怖いかも)
超音波検査で「赤ちゃんかわいいねー。」といってくださるのも(これは先生、本気でおっしゃってるんだと思う。いやなんかそれ聞いて自分もはじめて「かわいいかもって思えてすごいほっとしたしうれしかったんだよ。)「女の人はすごいんだよ。」というのも自分が認められたようでうれしかったなぁ。
検診の待ち時間は長いけど、その間、薪割りなど、運動をする古家で他の妊婦さんと話をしたり、運動したりできて苦痛でない事、助産士さんはじめ、スタッフの皆さんが確かに親切で、妊婦同士も仲良く出来る雰囲気があるという安心感はある。
産後も吉村医院で出産した人を中心とした「うぶやの会」というのがあり、いろんな催しや集まりがあったりして出産後に悩むことにぶつかった時に相談する人、場所がしっかりあるのもいいなと思う。
問題なく自然分娩できれば、やはり「よい産院」と言っていいと思うし。ラッキーなお産が出来れば自分も吉村医院を誉めて回ったと思うな。
なんか、自分の馬鹿さ加減を知るというのはありがたいし感謝だし、それが出産前だというのは本当にラッキーだったんだが、 が、しかし…自分のおばか加減にもろ直面というのはぐらぐらと情けなるのも本当ですな。
本当に、本当に自然分娩で望むのは危険すぎるという症例は吉村医院でも出産前に基幹病院へ紹介するらしいんだけど、でもその「ここからが危険」という線引きがあまりに高すぎるというのは嫌ということで自分吉村医院での出産をみあわせました。
あと、凄い疑問なのが自分が産院選びなおしのきっかけになった方の帝王切開をしてくれた病院、関係者への非難なんだけど いや、どんなに自分自身の信条、吉村医院への信頼があるにせよ、というか吉村先生への信頼があればこそ、吉村先生が最後に決定された搬送先での出産に受け入れ、感謝があるんじゃないの?どうして非難になっちゃうんだ。悲しい以上に……判らない。
いろんな事を考えたし、勉強したし、自分的には良かったことも多いです。吉村医院に通えたことも良かったと思います。
でも、なんか考えれば考えるほど、判らなくて悲しくなる事も多い。
でも、考えるのをやめちゃうというのはなしにしようと思う今日この頃です。
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